ということで、12月になりましたのでラボレター、終了します。今まで読んでくださった方、ありがとうございました。ぼく個人の日記はtriviaでいつのひにか(いつのことやら)書き始めます。気になった時にでもtriviaをちょこちょこ覗いてみてくださいね。

存続要望のメールを多数いただきびっくりしていて… いろんな角度?からの存続要望なんで、一様に返事は難しいんですが… いや別にラボを辞めるとかそういうことではないし、身辺が落ち着き次第、日記は書くのであまり気にしないでください。。はは。ごめんなさい。

このラボレターは、まちづくりの記録として、こちらのサイトに残しておきます。時期が来たら消す可能性もありますが、ご了承を。それからトップページからの直リンクでなくなるのでご注意を。

で、ここで報告するって言ってたことを2つ。
まずカメラのこと

結局… いろいろ検討した結果、まず、ここの写真のほとんどを撮り続けたDMC-LC1、それからぼくがカメラを始めるきっかけにもなったminolta SRT101(プラスレンズ3本)を手放すことにしました。そしてN1もろもろを手放すのは一旦保留に。

決して、LC1に不満を感じていたわけではないんですけどね。F値:2.0-2.4の恩恵というのは、想像以上に素晴らしいものでした(今でもオススメNo.1〜お気軽にいい写真が撮れるという意味で)。ただ、新しいカメラ購入後を鑑みると、もうちょっとコンパクトなものがいいなと。使う頻度も減るだろうし、それだったら愛着持って使ってくれる人に譲った方がいい、てんで、手放すことにしました。

SRT101もいいカメラでした。というかMCロッコールレンズの描写がすごくいい。期待を裏切らない柔らかいボケ味とコンタラストやや高の発色が、特にMC ROKKOR-PF 50mm F1.7から感じられました。これらは、ぼくよりこのカメラに想い出を持っている方の手に渡ります。

で、結局何を買うかというと、K10Dです。昨日発売で、予約していた人たちでさえ手に入りにくい状況らしいですが… ぼくは幸運にも予約なしで手に入れることができそうです。。当初はEOS 5Dを購入予定でした。フルサイズの撮像素子、というこだわりから必然的に残ったのが5D。だけど、レンズとか道具としての色気とか、これからのこととか考えたらK10Dに行き着きました。nikonは構造上、当分フルサイズは見込めないですし。(たぶん)

これからPENTAXでシステムを揃えていくつもりです。本体はまだないのにレンズは2本購入済み。。FA Limited の43mmとSIGMAの17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO。FA Limited の描写を確認した上で、あと一本ポートレート用の中望遠単焦点を購入予定。そしてN1もろもろを手放してフィルムカメラもPENTAX(LX)に移行するか検討します。これで趣味と仕事が両立?できるかなと。

余計なお世話ですが、K10D安すぎですね。。消費者にとってはうれしいですが、いいものはいいものとしてもうちょっと高くってもいいよな気もします。他のメーカさんはしんどいだろうな。。

次いで、ロゴマークのこと
補足解説?のようなもの。

当たり前のことなんですが、一般的にはロゴマークって「意味」を表現するものです。そしてそれを評価しようとする人たちも、その「意味」をくみ取ろうとします。作り手も「意味」から発想します(中には「意味」を後付けする人もいますが)。でも、今回のロゴマーク案は「意味」は「意味」でも「メタ的な意味(=意味を理解する前の、ロゴマークから受けとる感情)」を表現したものです。

日比野さんが提案したロゴマーク案は、(たとえば)「何だこれは?」という感情がくみ取られるものです。湯煙りとか鯉のぼりとか…杖立の風景の「意味」を表象することが第一義的ではありません。

つまり「何だこれは?という感情」あるいは「杖立の風景に垣間見える、ズレに伴う感情」が、「杖立のまちの魅力である」と、代弁してくださったわけです。それも、意図されていない複数のカタチを組み合わせるという、杖立の風景構造のメタファーも取り入れた上で。そういう意味で、どこにもないユニークで、可能性のあるロゴマーク案、ということになります。

しかし一方で、その「感情」を「理解する」ことでのみ、成立するんだったら、ロゴマークである必要はありません。特に(企業ではなく)まちのロゴマークである以上、住民の中で「分かりにくい」で片付けられてしまう可能性が大いにあります。

今後残された作業は、その「感情」をベースに、分かりやすい「意味」のオプションをどう(さらに)付け加えるかということ、そしてそのロゴマークをきっかけとして、これからの杖立のストーリーを作っていくこと、そのストーリーを住民間で共有すること、になってきます。

杖立はよく(観光のコンテンツとしての)「まとまりがない」と言われます。批判的にこういうこと言う人たちがいるんですけど、ぼくはそれはそれでいいんじゃないかって思うんですね。今の世の中で、もしまちに「まとまり」が見出されるとしたら、それはそのほとんどが「情報の見せ方」の効能です。「情報の見せ方」のノウハウさえ掴められれば、どうにかなるのが「まとまり」です。

抽象的な物言いで申し訳ないですが、外部から「まとまり」が見えるまちの中には「暮らしのリアリティ」が隠蔽されているケースが大いにあります。別の言葉で言うと、「観光=ツーリズム」を目指した結果、「地域の暮らし=地域固有の持続可能な社会的・文化的な営み」がないがしろになってしまうケースがよくあるのです。

「観光」は基本的に市場経済を基礎とした概念です。「観光」に取り組むことは、決してまちづくりとイコールではありません。特に今までのまちづくりは市場経済との関連を極端に見いだせずに来たので、その反動で近年「観光ブーム」になりつつあります。

その中で盲目的になると、決して暮らしの豊かさに繋がりません(経済的に豊かになっても)。つまり、日本全国どこのまちも「観光」と「地域の暮らし」のバランスを、しっかりと認識すべき(そして行動すべき)時期にあると思っています。

そういう意味で、「まとまり」が必要なまちもあれば、必要でないまちもあります。今は必要ではなく、後に必要となるまちもあります。「まとまり」だけが必要なまちもあります。

「まとまり」は(観光客に)消費されやすいと認識しながらも、それでもなお住民が「まとまり」を望んでいるのか、ということを鑑みると、「今の杖立」には、必要ないと感じています。

もちろん、住民の方々の中でも「まとまりが必要だ」という方々はいらっしゃいますが、それはあくまで「その方の見える範囲の中でのまとまり」と捉え、解決することが重要です。それは、観光コンテンツとしてのまちの「まとまり」とは必ずしも一致しません。

「今の杖立」に必要なのは、観光客を大量に誘う斬新なアイディアではなく、「まとまり」を前提とした効果的なブランディングでもなく、住民のささやかなアイディアを実現へと結びつける、地道な調整です。地道な調整の結果見出される、住民個々の達成感です。

まずはそこであり、そこが難しいのが、杖立です。「観光」のためのアイディアがいいとか悪いとか足りないとか、そんな話は今までもたっくさん議論されてきたし、これからも自然に議論されていくものなのです。

そして、その杖立の「まとまり」のなさの蠢き=エネルギー=進むべきベクトル、を1つのカタチでおさめたものが、今回のロゴマーク案と言え、それは同時に杖立の現実の風景および暮らしを物語る記号と言えるでしょう。

この案は12月中には、ぼくと日比野さんとでブラッシュアップして、最終的なロゴマークとなります。カキノくんにも手伝ってもらうことになります。非常に難しい作業になるかとは思いますが… 楽しみでもあります。うん。

という感じです。あ、そうそう最後にお知らせ。ピンクちゃんとomameちゃんの?ギャラリー130で、「OGUNI」の展覧会が絶賛開催中です。町長の講演会&パネルディスカッションも明日開催です。ぼくも行きます。つうか行かなかったら大変なことに。なぜなら町長の講演データはぼくが持ってるので… あぁはよ寝よ。

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<YANO+OZUMI/OGUNI>
矢野秀敏+小澄素明の小国展
12/1(金)〜12/10(日) 10:00〜18:00
入場無料/月曜休館/最終日は17時まで

熊本県小国町の<櫟の森美術館>で2003年以来、小国の自然を感じてきたカメラマン・矢野秀敏と、美術家・小澄素明のコラボレーション。二人が過ごした小国での時間、出会った人たち、櫟と小国杉に囲まれた自然などそれらの裡なる意味を確認展示。
 
旧百三十銀行ギャラリー
北九州市八幡東区西本町1-20-2
093-661-9130
http://gallery130.jp
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