さよなラボレター。

December 01, 2006

Posted by: takita
ということで、12月になりましたのでラボレター、終了します。今まで読んでくださった方、ありがとうございました。ぼく個人の日記はtriviaでいつのひにか(いつのことやら)書き始めます。気になった時にでもtriviaをちょこちょこ覗いてみてくださいね。

存続要望のメールを多数いただきびっくりしていて… いろんな角度?からの存続要望なんで、一様に返事は難しいんですが… いや別にラボを辞めるとかそういうことではないし、身辺が落ち着き次第、日記は書くのであまり気にしないでください。。はは。ごめんなさい。

このラボレターは、まちづくりの記録として、こちらのサイトに残しておきます。時期が来たら消す可能性もありますが、ご了承を。それからトップページからの直リンクでなくなるのでご注意を。

で、ここで報告するって言ってたことを2つ。
まずカメラのこと

結局… いろいろ検討した結果、まず、ここの写真のほとんどを撮り続けたDMC-LC1、それからぼくがカメラを始めるきっかけにもなったminolta SRT101(プラスレンズ3本)を手放すことにしました。そしてN1もろもろを手放すのは一旦保留に。

決して、LC1に不満を感じていたわけではないんですけどね。F値:2.0-2.4の恩恵というのは、想像以上に素晴らしいものでした(今でもオススメNo.1〜お気軽にいい写真が撮れるという意味で)。ただ、新しいカメラ購入後を鑑みると、もうちょっとコンパクトなものがいいなと。使う頻度も減るだろうし、それだったら愛着持って使ってくれる人に譲った方がいい、てんで、手放すことにしました。

SRT101もいいカメラでした。というかMCロッコールレンズの描写がすごくいい。期待を裏切らない柔らかいボケ味とコンタラストやや高の発色が、特にMC ROKKOR-PF 50mm F1.7から感じられました。これらは、ぼくよりこのカメラに想い出を持っている方の手に渡ります。

で、結局何を買うかというと、K10Dです。昨日発売で、予約していた人たちでさえ手に入りにくい状況らしいですが… ぼくは幸運にも予約なしで手に入れることができそうです。。当初はEOS 5Dを購入予定でした。フルサイズの撮像素子、というこだわりから必然的に残ったのが5D。だけど、レンズとか道具としての色気とか、これからのこととか考えたらK10Dに行き着きました。nikonは構造上、当分フルサイズは見込めないですし。(たぶん)

これからPENTAXでシステムを揃えていくつもりです。本体はまだないのにレンズは2本購入済み。。FA Limited の43mmとSIGMAの17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO。FA Limited の描写を確認した上で、あと一本ポートレート用の中望遠単焦点を購入予定。そしてN1もろもろを手放してフィルムカメラもPENTAX(LX)に移行するか検討します。これで趣味と仕事が両立?できるかなと。

余計なお世話ですが、K10D安すぎですね。。消費者にとってはうれしいですが、いいものはいいものとしてもうちょっと高くってもいいよな気もします。他のメーカさんはしんどいだろうな。。

次いで、ロゴマークのこと
補足解説?のようなもの。

当たり前のことなんですが、一般的にはロゴマークって「意味」を表現するものです。そしてそれを評価しようとする人たちも、その「意味」をくみ取ろうとします。作り手も「意味」から発想します(中には「意味」を後付けする人もいますが)。でも、今回のロゴマーク案は「意味」は「意味」でも「メタ的な意味(=意味を理解する前の、ロゴマークから受けとる感情)」を表現したものです。

日比野さんが提案したロゴマーク案は、(たとえば)「何だこれは?」という感情がくみ取られるものです。湯煙りとか鯉のぼりとか…杖立の風景の「意味」を表象することが第一義的ではありません。

つまり「何だこれは?という感情」あるいは「杖立の風景に垣間見える、ズレに伴う感情」が、「杖立のまちの魅力である」と、代弁してくださったわけです。それも、意図されていない複数のカタチを組み合わせるという、杖立の風景構造のメタファーも取り入れた上で。そういう意味で、どこにもないユニークで、可能性のあるロゴマーク案、ということになります。

しかし一方で、その「感情」を「理解する」ことでのみ、成立するんだったら、ロゴマークである必要はありません。特に(企業ではなく)まちのロゴマークである以上、住民の中で「分かりにくい」で片付けられてしまう可能性が大いにあります。

今後残された作業は、その「感情」をベースに、分かりやすい「意味」のオプションをどう(さらに)付け加えるかということ、そしてそのロゴマークをきっかけとして、これからの杖立のストーリーを作っていくこと、そのストーリーを住民間で共有すること、になってきます。

杖立はよく(観光のコンテンツとしての)「まとまりがない」と言われます。批判的にこういうこと言う人たちがいるんですけど、ぼくはそれはそれでいいんじゃないかって思うんですね。今の世の中で、もしまちに「まとまり」が見出されるとしたら、それはそのほとんどが「情報の見せ方」の効能です。「情報の見せ方」のノウハウさえ掴められれば、どうにかなるのが「まとまり」です。

抽象的な物言いで申し訳ないですが、外部から「まとまり」が見えるまちの中には「暮らしのリアリティ」が隠蔽されているケースが大いにあります。別の言葉で言うと、「観光=ツーリズム」を目指した結果、「地域の暮らし=地域固有の持続可能な社会的・文化的な営み」がないがしろになってしまうケースがよくあるのです。

「観光」は基本的に市場経済を基礎とした概念です。「観光」に取り組むことは、決してまちづくりとイコールではありません。特に今までのまちづくりは市場経済との関連を極端に見いだせずに来たので、その反動で近年「観光ブーム」になりつつあります。

その中で盲目的になると、決して暮らしの豊かさに繋がりません(経済的に豊かになっても)。つまり、日本全国どこのまちも「観光」と「地域の暮らし」のバランスを、しっかりと認識すべき(そして行動すべき)時期にあると思っています。

そういう意味で、「まとまり」が必要なまちもあれば、必要でないまちもあります。今は必要ではなく、後に必要となるまちもあります。「まとまり」だけが必要なまちもあります。

「まとまり」は(観光客に)消費されやすいと認識しながらも、それでもなお住民が「まとまり」を望んでいるのか、ということを鑑みると、「今の杖立」には、必要ないと感じています。

もちろん、住民の方々の中でも「まとまりが必要だ」という方々はいらっしゃいますが、それはあくまで「その方の見える範囲の中でのまとまり」と捉え、解決することが重要です。それは、観光コンテンツとしてのまちの「まとまり」とは必ずしも一致しません。

「今の杖立」に必要なのは、観光客を大量に誘う斬新なアイディアではなく、「まとまり」を前提とした効果的なブランディングでもなく、住民のささやかなアイディアを実現へと結びつける、地道な調整です。地道な調整の結果見出される、住民個々の達成感です。

まずはそこであり、そこが難しいのが、杖立です。「観光」のためのアイディアがいいとか悪いとか足りないとか、そんな話は今までもたっくさん議論されてきたし、これからも自然に議論されていくものなのです。

そして、その杖立の「まとまり」のなさの蠢き=エネルギー=進むべきベクトル、を1つのカタチでおさめたものが、今回のロゴマーク案と言え、それは同時に杖立の現実の風景および暮らしを物語る記号と言えるでしょう。

この案は12月中には、ぼくと日比野さんとでブラッシュアップして、最終的なロゴマークとなります。カキノくんにも手伝ってもらうことになります。非常に難しい作業になるかとは思いますが… 楽しみでもあります。うん。

という感じです。あ、そうそう最後にお知らせ。ピンクちゃんとomameちゃんの?ギャラリー130で、「OGUNI」の展覧会が絶賛開催中です。町長の講演会&パネルディスカッションも明日開催です。ぼくも行きます。つうか行かなかったら大変なことに。なぜなら町長の講演データはぼくが持ってるので… あぁはよ寝よ。

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<YANO+OZUMI/OGUNI>
矢野秀敏+小澄素明の小国展
12/1(金)〜12/10(日) 10:00〜18:00
入場無料/月曜休館/最終日は17時まで

熊本県小国町の<櫟の森美術館>で2003年以来、小国の自然を感じてきたカメラマン・矢野秀敏と、美術家・小澄素明のコラボレーション。二人が過ごした小国での時間、出会った人たち、櫟と小国杉に囲まれた自然などそれらの裡なる意味を確認展示。
 
旧百三十銀行ギャラリー
北九州市八幡東区西本町1-20-2
093-661-9130
http://gallery130.jp
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背戸屋とさくら

November 19, 2006

Posted by: takita




えっと、11月いっぱいはラボレター。書きますんで。メールくださった方々どうもありがとうございます。返事はもう少し遅れます…

で、先日も少しお伝えしましたが、本日、17:30から背戸屋(路地裏)祭りがあります。(22時くらいまで)
文字通り背戸屋で開催されるお祭りで、チーム背戸屋(路地裏を活性化していこうとしている杖立・若手のグループ)の方々が中心に、おでんやぜんざい等を振る舞うアットホームなお祭りです。

雨が降ってるのでどうなるのかは未定ですが… 雨が止めば、背戸屋には、九州工業大学の学生が中心に制作した300個程の灯籠が、さくら橋には地元の方々が制作した竹灯籠が並べられます。幻想的な風景となることでしょう。

背戸屋祭りの今回のライブパフォーマンスは、「町長&ブラックバード」。名前がどうとかそういう突っ込みは抜きにして、町長の(2回目の)ステージが用意されています。20:00くらいには、熊本県知事も来場する予定です。もちろん県知事さんは歌うわけではありません。

また現在、九州工業大学・熊本大学・熊本県立大学・崇城大学の学生約16名が、温泉会館に3日間泊まり込み、さくら橋の改修案3案を作成しています。

今後、杖立では、さくら橋改修に向けて、月1回の住民参加ワークショップを開催していきます。その際のたたき台になるのが、この3案です。今回の泊まり込んでみんなでがんばろう企画「さくら橋ミニシャレット」は、学生が企画したものです。いやぁほんとみんながんばってます。写真は、深夜0時過ぎ。何が彼らをそうさせ… 略。

10:30から、温泉会館にてプレゼンがあります。おそらく学生は徹夜でぼろぼろのはず…。このプレゼンでは、講師として、九州工業大学から仲間浩一助教授、熊本大学から田中尚人助教授、杖立からぼく?を交え、講評を行います。ぎりぎりでのご報告ですが、お時間がある方はぜひいらしてください。

背戸屋祭りの時も、おそらく20:30くらいから学生がプレゼンをします。これはゆるい感じのプレゼンになりそうです。お時間が合わない方はこちらにぜひ。今後のワークショップでも披露しますので、今日が難しい方は、次の機会にぜひ。

ロゴマークの受賞者も発表しました。これにかんしては、後日こちらでもコメントします。現在、ギャラリー背戸屋では応募作品すべてを展示しています。杖立にいらした時には覗いてみてください。

杖立の日比野さん

November 11, 2006

Posted by: takita


最近の日比野さん」に来て頂いた方、ありがとうございました。その後、地元の中で、このイベントの目的やこれからについての意見や疑問、感想を耳にします。直接ぼくに届いたものだけではないので、ここで整理しておきますね。

当日のぼくの説明が足りなかった部分が大いにあるので補足も兼ねて。それでも何かあれば、直接ぼくまで意見をください。それを次のステップに繋げたいので。ぜひ。

このイベントはタイトル通り「最近の日比野さん」について、紹介する会として開催しました。日比野さんに杖立を知ってもらう機会、興味のある人たちに日比野さんの最近の活動を知ってもらう機会、そして日比野さんがこれから杖立に関わる状況を創り出す機会として、企画したものです。

今回はロゴマークが当日に決まらなかったために、「どういうロゴマークになりそうか」ということについては急遽紹介しましたが、「最優秀賞の発表」は、当初から「応募要項」に示していたように「11月15日まで」に観光協会のウェブサイトおよび杖立ラボのサイトでご報告します。その際に、総評やその他各賞の発表も行います。

当日来て頂いた方は何となく分かると思いますが「え!こうなるの?」という感じになりそうです。それに至った経緯等についても、応募者の方々を中心に「11月15日までに」説明をいたします。

ここらへんを理解してもらいたくって「最近の日比野さん」というタイトルにしたんですけどね。日比野さんが1日しか来れないから審査とイベントを同日に行いました。それが結果的に複雑さを招いたのかもしれないです。

当初は、ぼくと日比野さんとお客さんで延々と2時間喋る予定でしたが(今考えると疲労で無理だったかも…)、現在開催中の個展を手伝っている知人が岐阜から来てくれることになり、また、これも知人であるCAMKの学芸員の子たちも来てくれることになり、4人で喋ることに急遽変更しました。あ、CAMKのブログはこちら

こういう内容としたのは、今の杖立の路地裏の動きを杖立の動きだけとしない可能性が見出されたためです。今回のロゴマーク審査における日比野さんとの関わりは、彼ら彼女らのおかげで拡がりが見出せそうです。具体的になり次第、報告します。

で、今後も、杖立に日比野さんが関わっていくかどうかはあらかじめ決まっていたわけではありません。よって、杖立や小国町民を対象というよりも、日比野さんの活動に興味を持っている人たちを対象にしたものとしました。そういう意味で日比野さん(の活動)を知らなかったり、(現代)アートに興味がなかったりした人たちにとっては、分かりにくい点があったようにも思えます。

もし日比野さんが今後も杖立と関わってくださることになったら、その次のステップで住民との接点を優先した企画を…と考えていました。現在、杖立の中ではいろんなプロジェクトが進みつつあります。どのプロジェクトとの関連を、どう見出せばいいのかを、日比野さんの意見をもとに、見極めたかったのです。

結果的に、日比野さんは今後も関わってくださることになりました。これは杖立にとって大きなことです。関わるに値するくらいの、まちの面白さが杖立に存在するということです。そして住民およびその周辺の方々に魅力があった、ということではないでしょうか。

日比野さんの魅力のひとつは、(受け売りですが…)地域の人たちに「?」という感情と「!」という感情を「アートの表現」と「まちづくりの手法」の両面に対して提供してくれるということです。「?」は人によっては、いつまでも「?」のままだし、人によっては早い段階から「!」に変わる場合もあります。これはいわば当たり前のことです。

以前もそうでしたが、日比野さんと関わるとハラハラします。地域との接点、(分かりにくいと思われてしまう)アートとの接点を住民間(感?)でどう処理するかという部分について、現場での機動力の高いすり合わせが要求されるからです。それがいわゆるアートマネジメントの一部なんですが、ぼくはまだまだ未熟だなぁと最近つくづく思います。

でもそのハラハラが地域でうまい具合に処理ができたとき、住民の中で(それでも一部の人たちの中で、ですが)「?」が確実に「!」に変わる機会が生まれます。「?」をどんどん提供しながら、「!」の機会を如何様に作っていくのか。それが文化を創っていく1つの側面だとぼくは思っているし、そしてこれからはそういう、よりダイナミックな動きを積極的に取り入れていきたいと思うのです。

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さて、突然ですが、日比野さんとの関わりが今後具体的になっていく中で、このブログ:ラボレター。の役目が終わろうとしているような気がします。「杖立温泉 さくら荘」当時から読んでいてくださった方はご理解できるように、この日記はぼくの「個人的な日記」です。

しかし、最近は、個人的な日記を「杖立ラボ」のサイトで書かなくて良い状況になってきたように思います。むしろ書かない方がいい時期になってきたように思います。住民の方々でここを読む人たちも増えてきたし。先に言ったように、よりダイナミックな動きになってくるので、(今まで以上に)この日記やぼくの個人的な動きで「杖立のまちづくり」を評価しようとすると、必ず、混乱します。特に住民の方々はそうだと思います。

なので、今月中には、このラボレター。は「杖立ラボ」のサイトから外れてtriviaのサイトへ移行します。ラボレターって名前好きだったんだけど、名前を変えます。アドレスはそのままにしておくかもしれません。考え中。

「杖立ラボ」のサイトは、今後は杖立のまちづくり情報をちょっとフォーマルに?記述するサイトしていきたいと考えています。さよなラボレター…