もやいかかり

September 21, 2006

Posted by: takita


徹夜明け。午前中、県立大学の学生9人と先生たちがいらっしゃいました。「もやいすと育成プログラム」の一環らしいです。詳細はこちらに。名前はもやもやしてますが(余計)とてもいいプログラムのようです。「地域の活性化を図るため」という冠がついてますが、学生にとっては、そんなことどうでもいいんでしょね。自分の知らない世界が自分の近くにあること、そこに自分の知ってる世界との接点を発見すること。それだけで立派なもやいすと。なんて数ヶ月前まで学生だった(それもやめちゃった)ぼくが言うのもなんですが。ぼくみたいにならないように。



午後から星野村で打ち合わせ。カステラとかお茶とかいっぱいおみやげをもらいました。ありがとうございます。写真は星野村の棚田。今の人が作れないものを目にすると、確実なエネルギーをもらえます。ありがとうございます。



さらに伊万里に移動して調査…の予定が、遅くなり、吉井経由で帰ることに。つことで四月の魚このフライヤを置かせてもらいにおじゃまする。お店にはタカギさんシモジマさんとこのフライヤも置いてあり。セキさん曰く「不思議につながるもんですね」。今日はこの一言でごちそうさま。

想い出がまたひとつ

September 20, 2006

Posted by: takita


徹夜明け。午前中、某誌の取材。途中、ラジオの取材を挟んでお昼まで。その後、この説明会
こむちゃん、前向かなきゃ、前。

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渋公(渋谷公会堂)が「C・C・レモンホール」と名前が変わったそうです。「Yahoo!BB スタジアム」よりも違和感感じますね。違和感の度合いは違えど、そんなこと問題とならないんですね。どういうことかっつうと、(デザインがとっても必要であるにも関わらず)デザインが介在しない制度なんですね。特に日本では。

渋公が文化財だったらどうでしょう。きっとこんな名前にはならなかったでしょう。制度に保証されない日常は、まるで「当たり前」のように、無頓着に歴史が変えられていきます。つまり、ささいな(ささいだと思われている)想い出は気づかれないうちに、どんどん消費されてるわけです。まぁでも人間ってのは不甲斐ない生き物なんで?時期慣れるんですね。人間の「慣れ」は時に優しく、時に残酷です。

んーでも、もちっと考えてもよかったんじゃないかな。。代理店はいったい何を代理してるんでしょう。(言っちゃった)

澄徹なうた

September 19, 2006

Posted by: takita


台風のあとにやってくる淡々しい日差しは、寡黙にぼくらの背中をおす。台風のあとにやってくる澄みやかな空は、たぶんたくさんの人を救っていて、たくさんの人を繋げている。それらの囁きが、必ずおとずれる最大の安寧だと、相変わらず台風のときに忘れていて。忘れているからこそ、ありがたい。