1階と2階

母校の先生と打ち合わせ。何年振りだろうか…。なつかしい。ここの大学に通ったのは3年間。他大学の学部4年を卒業したあと、研究生の1年と大学院の2年間をここで過ごした。

学部時代、ぼくは独学で設計を学んでいた(つもりだった)。設計の講義がなかったため、他大学の図書館や講義に潜り込んだり、知人のお父さんから使わなくなったドラフターを譲ってもらい、好きな建築家やランドスケープアーキテクトの図面をひたすらトレースしたり、スケッチしたりしていた。

図面を引くためには何が大切で、何から学べばいいのか、1人で悩んでいた。特に3年までは自分のスタンスが正しいのかさえも分からず、誰にも思いを正確に伝えることはできなかった。本をにらみながらひたすら時を過ごした。高い金を出してCADの学校にも通ったりした。きちんとデザインを知りたかったのと同時に、建築・土木・ランドスケープと「景観」の哲学が異なることに疑問を抱き、ぼくは卒業後、ここの大学院に進学することを決めた。

最初の研究生の1年間は、変なプライドとの戦いだった。人前で図面を引いたことのないぼくが、いきなり学部生の設計講義のアシスタントをすることになったのだ。前期はプランニングの講義。プランニングについては今までの知識で何とかアドバイスができた。

後期はそのプランニングを受けてのデザインだった。ぼくは後期はアシスタントは断り、一緒に講義を受けさせてもらうことにした。今だから言えることだが、これはぼくにとって勇気のいる決断だった。前半偉そうにアドバイスをしていたやつが、大したプレゼンができないなんてかっこ悪い。そのままアシスタントをしとけば恥をかく不安はなかった。今まで黙々とアタマに突っ込んできた知識をひけらかすことで切り抜けそうだった。でも無理だった。後悔する気がした。

今までで一番密度の濃かった時間はこの「後期」だったかもしれない。恥をかかないように、恥をかかないように、何度も何度もエスキースを繰り返し、プレゼンにのぞんだ。結果、恥をかかなかったかのは分からない。キビシイ意見がなかったのは、周囲の思いやり、だった気もする。変なプライドはぼくを追い込んだが、同時にそれは、周囲の思いやりと一緒になって、ぼくを正直にした。

先生の部屋は6階。ここの校舎は2階がエントランス。なんにも知らない研究生当時、帰りにぼくはよく間違って「1階」を押していた。そして数年ぶりに訪れたぼくは、再び「1階」を押していた。他にも何か忘れてやしないか、そんな不安を抱きながらも閑かな安寧に苦笑した。それは今なお続く、周囲の思いやりのせいかもしれない。写真におさめることが、今のぼくにできることだった。