triviaをずっと見てくれてる人は分かると思うけど、ぼくのオモイデの場所は熊本の「白川の河川敷の公園」。その場所を作りたい、ってことがぼくの夢だった。ついにその夢が叶うことになりそうだ。つまり夢が実現するのに11年かかった、とも言える。

ぼくは将来の夢を持った時に、夢が叶うとしたらどういう経緯で叶うのか、しっかり記憶しておこうと心に決めた。なぜなら当時、ぼくの周りにはぼくと同じ夢を持った人がいなかったから。誰に何を聞いていいのかさえ分からず途方に暮れてた時期があった。そして、周りのオトナたちに、夢が叶わないことを前提とした生き方をアドバイスしてもらっていたから。将来ぼくがオトナになった時、コドモたちに夢を実現するための的確なアドバイスができるようにと考えていた。今思うと変なやつだけど。

ここまできた経緯は長くなるから別の機会に書くとして(と言いつつ、書かないと思うけど)、振り返って分かることは、夢が変化したということだ。夢が抽象的になって細分化した、というのが正確かもしれない。そんなこと、当時は思ってもいなかった。
公園だと思っていた場所は、実は公園ではなかった。そして、場所のデザインの知識さえあればできると思っていたけど、それだけではだめだった。ぼくが、ウェブデザインとかグラフィックデザインとか…そういう関係ないと思えることをやり始めたのも、あの日あの時の「白川の河川敷の公園」を作りたかったから。今でもそう。あの日あの時の「白川の河川敷の公園」を作りたい、という思いで今やるべきことを決めている。

「白川の河川敷の公園」を作りたいというモチベーションは、夢を抱いた当時とは異なっている。ぼくは気づいた。とてもささやかではあるけれど、当時描いた夢は、もうすでに実現している。それでもなお「白川の河川敷の公園」にこだわる理由は、夢を叶えたいから、という理由ではない。夢が実現したからといって、次の行く末を見失っているわけでもない。むしろそのときから、ぼくは安定している。当時描いていた夢から派生した、細やかで穏やかな夢がぼくを取り巻いている。

夢に思いを馳せると、次の夢がやってくる。夢ってのは可能性のカタマリだ。こうやって夢だ夢だと連呼すると若干アオ臭い気もするが、夢という言葉以外に適した日本語が見つからない。そういうもんだと気づくのに、11年かかったのだ。

「将来こういうことやりたいんですけど…」とメールをよく頂く。そういう人たちにぼくが言えること。夢の善し悪しなんてのはない。夢が叶うかどうかは分からない。夢が叶ったぼくだって、これからどうなるかは分からない。夢を持て!夢に向かってがんばれ!と声高に叫ぶオトナたちについて行く義務ももちろんない。ただ、自分でひそかに夢に思いを馳せる限り、将来は可能性に溢れている。それは思いもよらない可能性。それだけは、確実だということだ。