さくら荘から

早朝5時。ふと目覚めて聞こえてきたヒグラシの声。ヒグラシのかなかなかな…という声は、なんだか心地よく、とてもせつない。

スギ林によく生息するヒグラシ。つまり今の「ニッポンの田舎」の典型の中にヒグラシはいる。都会にずっと住んでいる人だったらこの声を知らないという人もいるかもしれない。ヒグラシの声に「夏休みに訪れた田舎」を想起させる人も少なくないと思う。薄明の頃、日暮の頃、やさしいヒグラシの声に時が遡られ、「あの頃」の原風景が蘇る。

あとひとつ。実はヒグラシの声はとても大きくて、間近で聞くと「せつなく」は感じない。田舎の人間の住まいは、ヒグラシが生息するスギの山から少し離れた場所にある。その山と住まいとの距離が、ヒグラシの声をせつなくしている。近すぎてもだめ。遠すぎてもだめ。「向こう側」から聞こえてくるヒグラシの声は、山と住まいの距離を表象している。

つまり、せつなさとは時間と距離なのだ。
せつない風景があるとするなら、それは時間と距離からなっている。