無印のメガネ

最近愛用しているメガネ。無印のもの。
安くて手軽にカスタマイズできる。お気に入り。ワイヤーが切れてしまったので、修理に出してきました。無料でしてもらえるんですね。うれしいです。九州にはキャナルシティの無印にしかありません。興味のあるメガネっこはぜひぜひ。

無印といえば、昨年末に素敵なコンセプトの商品が出ましたね。こいつ。駅や公園の時計を摸した腕時計。駅や公園の時計…ちょっとノスタルジックさを感じ得るそれが腕時計になっちゃったんです。何だか風景をつかまえちゃった気になりませんか? いいですね。

例えば同様の発想から「橋」を摸した「箸置き」が作られたとしたら、何てことないですね(何てことないことはないけど)。マチの風景にある「時計」が、ぼくらが身につける(同じ)「時計」になったこと。それも普段(見ている人たちのほとんどが)デザインを気にしていない駅や公園の「時計」をセレクトしたところ。その視点が秀逸なのです。サイトの中で「公共」って言葉を使ってるあたりに、そして丸形を「公園」と名付けたあたりに、しっかりしたコンセプトメイキングを感じ得ます。

で、今日はじめて実物を見てみたんですが… 残念なことに腕時計自体のデザインがいまいちな気がしてしまいました。しょうがない気もしないでもないですが、ちとポップなんですね。枠のステンレススチールとベルトの表面加工、公園の時計のタイプフェイスが、特に。ある意味において「美しくあろうとするキモチ」が見えちゃいました。

この商品がフォーカスしたかった駅や公園の時計。その作り手はそう「見てくれの美しさ」を気にしていないはずです。「はっきり見えること」「丈夫なこと」といった最低限のスペックのみを担保した(あるいはそれさえも意識されないような)、素朴な、「ぼくとつ」としたデザインのはずです。それこそが駅や公園の時計の魅力。だからこそ無印で選ばれた日常の道具。主張なきデザインにこそ「美」が見立てられる「駅や公園の時計」の真骨頂?が、垣間見えて欲しかった。

「素朴さ加減」そのままに、腕時計が「駅や公園の時計」として違和感なく見立てられるための「周囲との相性」が足りないのかな。駅や公園の時計がマチに埋もれているように、腕時計が手に埋もれる感じが、インターフェースに反映して欲しかった。風景をつかまえることができる(例えばあなたは毎朝通勤する駅をふと想い出す…)素敵な商品だけに、もったいない気が、少々。

コンセプト、という点から確実にエポックメイキングな商品。「無印」というブランドに即したストーリーが心地良い。もうちょっと素朴だったらなぁ。「あ、おれ駅の時計っす」みたいな。そしたら買うんだけどな。残念。(何様?)