手みやげ

アサマチとツダリョウちゃんが手みやげたくさんで遊びに来てくれました。マユミも喜んでたよ。ありがとう。

さて、昨日、旭山動物園の番組があってましたね。ところどころ見逃しましたが、総じていい番組だったなぁと。ぼくは以前、幸運にも某動物園の設計のお手伝いをさせて頂いたことがあったんですが、それはもう大変です。何が大変かって動物のキモチになるのが大変です。チンパンジーが柵を飛び越えるなんてアクシデントもあったとかなかったとか…

番組の中でもしきりに動物のキモチになろうとするシーンが描かれていましたね。動物のキモチになることは、必ずしも動物の生態を解明すること(科学的に接すること)と同義ではありませんでした。つまり、動物を「理解できない貴い存在」として思いやっていたように思います。

人間にいろんなキモチがあるように、動物にもいろんなキモチがあるはずで。そして理解できない人間のキモチがあるように、理解できない動物のキモチがあります。お手とか、伏せとか、確かにそういうことをしてくれたらうれしい理由もありますが、決してそうではなく、人間の理解の及ばない存在として動物の生きる姿そのものをフォーカスしたものでした。動物は人間に「理解」できない。そりゃぁチンパンジーだって、飛び越えるはずのない柵を飛び越えることがたまには… 略。

入場者数が日本一になったこと自体が職員の方々にとって、そして動物たちにとって正解なのか間違いなのかは分かりません。日本一というオプションは、以前より動物への思いやりを深めた人間たちが辿り着いた、1つのインターフェースと言えます。人間社会である以上、そこからまた新しいストーリーが要求されちゃうわけだけども、園長さんがカゴの上に「日本一」を記したメモを置いた所作、(それがフィクションか否かは別として)そこに限りなく正解に近いと思わせる、人間と動物との間の「文化の形式」がありました。

そうそう、最近、福岡でこんな活動をし始めたデザイナさんがいらっしゃいます。すてきですね。いつの日にかお会いしたいなぁ。