トークセッションがありました。来てくださった方々ありがとうございました。最近人前で話す機会が増えたけど、その度ああ言っときゃよかったとか、あああれはこうだったとか、反省しきり。。

あの場では言えなかったことを1つ。
とりわけ都市空間のデザインに携わる人たちが考えるべきことは、今が「情報化時代」だということを意識することなのかなぁ。。と最近考えます。別に「だから情報メディアに興味を持とう」とかそういうことではなく、「人間(ユーザー)が把握可能な情報(=意味)が、身の回りにたくさん存在する」という、ごく当たり前のことです。シンプルに考えると、歴史が積み重なるほど把握可能な情報は増えていくわけだから、「情報化時代」に関わらず、普遍的なスタンスになるのかも。かもです。次にどういう時代が来るのか分からないので。。

「まちづくり」という職能が社会的に要求され始めた文脈の1つに、「空間だけではユーザーに(伝えられると考えられていた)「意味」を伝えきれなくなったから」という面があると思ってます。「ユーザーが、空間に関連して把握できる「意味」が増え、同時に「意味」を把握可能な手段(メディア)が増えた」ということです。「モノをデザインする」というプリミティブなデザインの役割だけでは、「デザインができなくなった」という言い方もできます。この事実は、(都市空間に関わらず)あらゆる対象に向けられた、ユーザーのリアリティなんじゃないかと。空間に「意味」を求めて行き着く先は、テーマパークです。それもすごいやつ。笑 だから、メディアとの関わりが(より)検討される時代になるのも必然のような気がします。

そういう見方をすると最近の美意識とか業界の流れとかが説明できます。最近の雑誌に「古くて新しいモノ」を扱ったものが多いのも分からなくもないです。

なんとなくですが。。「パブリック性」という概念にとらわれ過ぎると、「新しい時代の構造とユーザーのリアリティ」が見えにくくなってしまうように思ってます。つまり「パブリック性」という概念は、少なからず「(ユーザーのリアリティを基礎とした)プライベート性」という概念を抽象化してしまう概念だからです。何十年後かはわかりませんが、「パブリックデザイン」という概念は「倫理デザイン」という概念に置き換えても、(一般的に)差し支えがなくなるような気さえしてます。どうなんでしょう。分かりませんが。。笑