ナイスピー

今日はソフトボール大会。…え!タキタがソフトボール!?とここを見てる10人中8.3人くらいが思ってるはず。ですが、ぼくも一応昔は体育会系?だったんですよ。大学以降のぼくを知る人は、どうもぼくがスポーツをしている姿を想像できないらしい。といってもやってたのは剣道なんですけどね。高校までは剣道バカで… なんてそんなことどーでもいいんで略。

杖立は杖立川を挟んで「湯鶴」と「杖立」に小字(こあざ)名が分かれます。湯鶴バーサス杖立の因縁の対決なんですね。ぼくは杖立側。ちなみにジュンコさんも杖立側(の応援)。結果は… 杖立側の勝利!ぼくは一打席目がランニングホームラン。二打席目が内野安打。MVPは… ジュンコさんかな。ファールボールを拾って返そうとしたら、自分の身体ごと投げてました。さすがです。

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ユウさんたちがフクオカンとフクオカンヌのためのSNSを作ったそうです。
詳細はこちら:http://note.katati.com/?eid=388636
表紙はユウさんのお嬢さん。ふふ。
ユウさんもおっしゃってますが、mixiという存在がこれだけ大きくなった中で、ミクロSNSがこれだけ乱立する中で、多様なアソシエーションを担保した(つまり用途を限定していない)地域SNSが果たす役割は、非常に見えづらくなっています。それを認識した上で運営されているところに、可能性を感じ得ます。後に招待制になるみたいですが、今は誰でも参加OKのようです。興味のある方はぜひぜひどうぞ。ぼくはすでに参加してまーす。

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岐阜在住、デザイナー・カバから熱くて長い(昔よりはスマートな)メールが届きました。あり得ないくらいの深夜に電話をしてきて(今夜も)ぼくの集中力を途切れさせるやつですが、このまま行けば?岐阜の財産になるような人材になるような。気もします。10月9日にイベントを開催するようなので、お時間がある方はぜひ。

チラシPDFダウンロード:http://www.organ.jp/jazz.PDF
チラシjpgダウンロード:http://www.organ.jp/jazz.jpg

以下、メールより転載。(誕生日プレゼントってことで)
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こんにちは。
今日、27才になりました。
organの蒲勇介です。

もう御存じの方も多いですが、改めて、引っ越しいたしました。
岐阜の文化が色濃く残る、金華山のふもと、金華校区の靭屋町という町です。
麩兵、吉祥庵、水琴亭、ひらいなど、岐阜を代表する老舗が立ち並ぶ通りに、築110年の町家をお借りして、住居兼デザイン事務所「ORGANデザイン室」として、2006年7月から最スタートいたしました。

やながせ倉庫さんに小さい部屋をお借りして過ごした昨年1年間も、深く思索に耽ることのできた、何かが凝縮された1年間でした。
この家では、季節の移り変わりも、雨音も、天井裏を這いずり回る何ものかの気配も、一回一回の食事も、全てか濃い実感をもって身体全体で感じることができます。
これまで10年ほど、生活らしい生活をしてこなかった僕にとって、本当に新鮮な体験が日々続いています。

やながせ倉庫の事務所で考え続けた、仕事のこと、自分の人生のこと、そして岐阜という地域でずっと生きていくということについて、今度は実践の場なのかなと思っています。

6月から、仕事のパートナーとして、天才・日比野由佳さんという方に来ていただいています。彼女は、仕事も大変優秀ですが、その鋭いセンスで、僕の寝起きする家でひとならぬものを目撃したりする希有な人材です。
ORGANの仲間とともに、到底一人暮らしをは思えない賑やかな日々の中、新しい出合いや取り組みに巻き込み巻き込まれ続けています。

ぜひ、そんな我が家と仲間達、そしてこの地域やここにしかないものを見て頂きたく、ORGANお披露目会その名も『月夜の町家jazz』を開催いたします。

今、さまざまな取り組みに参加させていただいておりますが、今回は麩兵の川島社長を中心とした「伊奈波界隈まちづくり会」の共催、岐阜市のスローライフ運動を進める「ぎふスローライフ市民フォーラム」の後援、また、未だ発足準備中ですが、岐阜大学の先生や地域の人々とともに「岐阜町屋再生ネットワーク(仮)」のみなさまに協力をいただき、伊奈波界隈まちづくり会 満願寄席第二回という御墨付きもいただいて開催いたします。

ゲストには、僕と同い年で岐阜でがんばりつづけていらっしゃるサックスプレイヤー・粥川なつ紀さんと、彼女とユニットを組んでいらっしゃるベーシスト・岡田治郎のお二人『KOSAMOTA DUO』に出演いただきます。

地域のひとやさまざまな分野の人が出会い、交流しながら、このまちにしかない空気を共有し会えるような空間になればと考えております。

ぜひとも皆様、足をお運び下さいませ。

これまでも、今も本当にたくさんの人たちにお世話になり、教えをいただき、こうして生きていることができます。
本当にみなさん、ありがとうございます。
そして、あらためて今後とも、よろしくお願いいたします。

ORGANデザイン室 蒲勇介 2006年9月28日
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